西川創業450年のあゆみ その1
おはようございます(^^)快眠アドバイザーのちゃきちゃき娘の陽子です
今年京都西川・大阪西川・東京西川など西川グループ創業450年の節目の年になります!
弊社では、京都西川の製品を主に取り扱っているのですが、西川創業450年のあゆみについて聞いたのでこれから毎週日曜日にシリーズ化をして下記予定で書いていきたいと思います!
1.創業と経営の基盤固め(室町~江戸期) ... 4月10日・4月17日2.繊維の町 京都からの再出発(明治・大正・昭和初期) ...4月24日・5月1日
3.健康で豊かな生活(くらし)の文化をお届けする(昭和・平成) ...5月8日・5月15日
4.繁栄の創造・午前5時 ...5月22日
さて、本日は創業と経営の基盤固め についてです。
初代の先見性と二代目のアイデア
■創業期の先見性・実行力
初代西川仁右衛門は1564年近江国蒲生郡に生まれ、1566(永禄9)年に蚊帳・生活用品の販売業を始めました。
近江八幡開町に際し移住し、1587年には本店 山形屋を設け、本格的な営業活動を開始します。
当初は奈良産の蚊帳や江州産の畳表を扱い、行商先は北陸を皮切りに、美濃・尾張・三河・遠州と販路を広げていきました。
徳川時代に入り江戸が一大消費地として成長すると、日本橋に (つまみだな)店を出店しました。
1615年、大坂夏の陣の年のことです。
(つまみだな )店は五街道の起点となる日本橋一丁目に位置します。
当時の近江商人は日本橋に軒を並べて覇を競い合っていました。
近世初頭の変動期に日本の商業地と名を成す近江八幡と江戸への出店は、初代を中心とした西川家の先見性と実行力によるもので、まさに「機を見る敏」な対応と言えます。
二代目甚五郎は、種々の研究の結果、蚊帳地に萌黄(もえぎ)色の染織を施し、縁に紅布を付けた近江蚊帳の特長といわれる『萌黄の蚊帳』を考案しました。
緑と赤のモダンな色彩の萌黄の蚊帳は評判を呼び、やがて蚊帳の代名詞となり、広く普及していきました。
■業容の拡大と出店
西川家には三代目利助時代の1667年からの営業成績を印した『勘定帳写』が存在します。
この勘定帳に記載された決算内容は現存する日本最古のものです。
このことから西川家が極めて早い時期から計数に基づいた近代的経営を行い、在庫や利益の管理を行っていたことが窺われます。四代目利助は下総国佐原支店、日本橋通一丁目に支店松店を開設、五代目利助はかくまん店、六代目利助は京店(現在の京都西川)の開設と弓を取扱い品目に加えるなどの営業努力を行い、販売価額が倍化するという大発展を遂げました。
蚊帳コラム
西川家など近江商人が江戸で盛んに蚊帳を販売した様子を『守貞漫稿』は次のように表現しています。
「近江の賞品で、日本橋通一丁目などに出店を構えて、もっぱら近江産の畳表や蚊帳などの類を売る店があった。
この店では手代を売人にしたて雇夫にかやを担わせて市中を商いさせた。
その服装は両人とも管笠をかぶり、雇夫はいつも新しい半天を着て、蚊帳をいれた紙張の籠を担っていた。
雇夫にはとくに美声の者をえらび、数日間、売り言葉を練習させてから商いにつかせた。
『萌黄(もえぎ)ノカヤァ~』
と声長く唱えるうちに、半町(約54m)も歩を運ぶほどの長い売り声であった。」
とのことです(^^)
今日は創業と経営の基盤固め その1について書いてみました。
創業450年様々なエピソードがあるので、学んでいくと面白い!と感じました。
来週もお楽しみに!それではまた明日♪
城山ふとん店
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