西川創業450年のあゆみ その2
おはようございます(^^)快眠アドバイザーのちゃきちゃき娘の陽子です
今年京都西川・大阪西川・東京西川など西川グループ創業450年の節目の年になります!
弊社では、京都西川の製品を主に取り扱っているのですが、先週に引き続き西川創業450年のあゆみについて聞いたのでこれから毎週日曜日にシリーズ化をして下記予定で書いていきたいと思います!
1.創業と経営の基盤固め(室町~江戸期) ... 4月10日・4月17日
2.繊維の町 京都からの再出発(明治・大正・昭和初期) ...4月24日・5月1日
3.健康で豊かな生活(くらし)の文化をお届けする(昭和・平成) ...5月8日・5月15日
4.繁栄の創造・午前5時 ...5月22日
さて、本日は創業と経営の基盤固め(室町~江戸期)についてその2です。
七代目の取り組み
■厳しい時代にこそ基盤を固める
経営の基礎を築き、後世に亘り西川家を安泰にすべく改革に尽力したのは七代目利助でした。
この時代は田沼意次の重商政策とそれに続く老中松平定信による感性の改革の緊縮政策など極めて不安定な時期でした。
この厳しい時代を乗り越えるために七代目は以下の政策に取り組みました。
積立金制度...
当時は火事・地震・河川の氾濫などが頻繁に起こり、店舗の損壊など経営に及ぼす影響は甚大な物でした。
そこで「定法書」の中で普請金・仏事金・用意金の3つの名目別に出費に堪えうる資金を確実に備え、その有効な運用方法も規定しました。
三ツ割銀制度...
年二回の決算を終えると店の利益の三分の一を奉公人に配分するというもので、現在のボーナスに当たるものです。
三ツ割銀制度により奉公人は気張って働けば店の利益があがり、それに応じて奉公人の配当があがるので、奉公人の勤労意欲を向上させました。
別家制度...
奉公人の分家制度を「別家制度」として規定しました。
この制度は三代目時代からありましたが、七代目は権限や義務を明確にし、「本家・親類・別家」が相互にチェックしながら西川家を支える体制としました。
別家制度は1940年まで存続しました。
また七代目は、前述の勘定帳をはじめ、西川家伝来の古記録を整理・複写する作業にも取り組みました。
現在に伝わる諸史料の多くはこの時代に整理されたものです。
有史以来最も悲惨と言われる『天明の大飢饉』(1782年~88年)をはじめ、経済情勢が悪化したこの時期は西川家にとっても厳しい時代でしたが、七代目はこの時代に災害対策・利益の配分、家政改革など後世に伝わる一連の対策に取り組み、経営の基盤を確立していきました。
■幕末の混乱期
九代目時代にも株仲間解散や原料の供給元だった越前で蚊帳が清算されるなど、近江蚊帳商にとっては厳しい時代となりました。
そんな中、九代目は1833年に幕府御用弓師となり、さらに弓打師仲間の公認を得て江戸への弓販売独占体制を固めました。
しかし1843年に近江八幡を所領する尾張藩の御用達となると、その後、御用金1,000両(大名貸し)を命ぜられます。
この金額は冬至のつまみだな店の粗利益の4倍以上に相当する高額な御用金です。
また幕末の1866年には幕軍の長州再征に際して軍費として御用金1,800両を上納します。
このように十九世紀初めから幕末・維新の激動の中、様々な形で多額の出費を余儀なくされます。
この状況を乗り切ることができたのは、積立金制度と被害を最小限に抑えようとする努力によるものでした。
この極めて困難な時期にも関わらず、西川家は経営の基盤を損なうことなく、逆に業績を発展させていきました。
さて、今日の豆知識は以上でおしまいです(^^)
西川創業450年長い歴史の中で色々なことが起きていきますね。
積立金制度・三ツ割銀制度・別家制度などチェック体制が江戸時代からあったことも驚きでした。
来週は、繊維の町 京都からの再出発(明治・大正・昭和初期)に関してです。
お楽しみに♪
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